2005年03月10日

発言したことへの責任を果たすこと

先のエントリー「名古屋市の「未来市長」さんの「南セントレア市」についての意見について」でも言及した、2009年の名古屋市長選への出馬を目指しておられる「未来市長」さんの「名古屋市の改革 Road to the mayor of Nagoya」で「南セントレア市の広告的な経済効果」について、いろいろと、その2つのエントリーのコメント欄で議論をさせていただいていたが、今日になって、その二つのエントリーが、私との議論が含まれるコメント欄ごと削除されて、改めてご自分のエントリー分だけをコメント付きで再アップされていることに気がついた。

「南セントレア市問題について」
(3/16/2005 追記 上記のエントリーも、本日、コメント欄の議論ごと削除された。

「あおなみ線の将来」
なお、セントレア問題は、名古屋市問題とは切り離します。
別のブログを近日立ち上げますので、よろしくお願いします。
ということだそうだ。)
彼の「南セントレア市の広告的な経済効果」という意見とそこから議論が広がった今回の騒動についてのいろいろな側面について、私は自分なりに真摯に意見を述べてさせてもらい、途中まで実のある議論をしていたのだが、途中から、「未来市長」さんが私に対し「なぜ誹謗中傷をくりかえすのか」「自分の意見を押しつけるな」「上から偉そうにものを言うな」などと言われ、感情的な個人攻撃に話を持っていかれたり、意見の中身でなく表現についてだけのことを問題にされてしまい、私は非常に心外な思いをした。最後にレスを書いたところで、結局「未来市長」さんが「議論ごと削除」されるという形になってしまったのは非常に残念だ。
そのご意見をいただいてきた方から、今後の論戦への部分撤退の表明を受け、この問題の整理と、ブログというツールを理解する必要から、一旦コンクリートさせていただきます。
自分は別に議論は止めたつもりはなく、人のブログのコメント欄で長々と議論するのは、ネットマナー的にみても第三者にも不快感を与えかねないので、議論をしたいときは、このエントリーのように、自分のブログの方にご発言を引用させてもらってコメントする、というブログの通常の流儀で行うことにしただけだ。

「南セントレア市のメディア露出での経済効果」に関しては、このブログでも何度か言及しているように、撤回されてその経済効果を総取りできたのは空港の「セントレア」のほうで、美浜・南知多両町にとっては、悪いイメージが残ってしまう「悪い広告」だったので、広告効果を考えるのは無意味だと考えている。この方の意見にも全く同感だ。

機械太郎の東京静止空間」さんの「南セントレアの成功

ともあれ、自分の心を込めた意見が二度までも誹謗中傷呼ばわりされたのは大変心外であり、その議論ごとまとめて削除されたのは非常に遺憾である。真摯に議論にしているテーマについて向き合わずに、個人人格への攻撃や表現が不快だ、などとテーマから議論を逸脱させてしまうのはいかがなものかと思う。私の発言が、本当に「未来市長」さんへの誹謗中傷だったのかは、第三者の方々に判断して頂きたいと思っている。

また、「未来市長」さんは、ネットで議論することについての私の意見に対して、新しいエントリーで、
彼は、このブログでは人格は関係ないと話します。
人格や性別や年齢に関係ない言葉のやりとりであると。

しかし、私には、単なる言葉遊びをしている訳ではなく、人格もおおいに関係する作業をしているつもりです。
と書いている。

私の発言では「議論することは人格や性別や年齢に関係ない」などと短絡的なことは言っておらず、「ネットでは、立場を超えて議論でき、議論そのものに集中できるから、それは実のある議論につながりやすい」ということを言っているのに、だ。「言葉遊び」などと言われるのも大変心外だ。「誹謗中傷」の件も含めて、なぜ文脈を読みとらず、短絡的に受け取られるのかはわからない。

確かに、自分の
私は未来市長さんがエリートだろうがたたき上げだろうが、年上だろうが年下だろうが、そんなことには全然興味はありませんし、議論する上でそんなことは関係ありません。
という発言に過敏に反応されたのかも知れないが、前後の文脈をちゃんと読みとって頂きたい。

発言は、その人が人として成り立っている人格から絞り出されているに決まっている。当たり前のことだ。私の言いたいのは、その人の人格がどうこう言う前に、議論している相手やその行動や発言に影響を受ける第三者にとって、その人の行ったことや言ったことがまず大事だ、ということなのだ。それが政治家、施政者であればなおさらだ。それをその流れで「血の通った政治」などと、ご自身の政策論に論理展開するのはいかがなものかと思う。

勿論、種々の現実世界の共同体や個人的な人間関係で、直接膝をつきあわせて話すことが大事なのは、人間社会なのだから当たり前だ。ネットで済む話はネットですませ、直接合って話すことの重要性を高めることも出来る。しかし、人はその人の人となりに影響され、考えがぶれ易いものだから「あの人の言ってることは間違っているけど、いい人だからしょうがない」とか「あいつはエリートで鼻持ちならないから、たとえいいことを言っていても聞く必要はない」などと、公共・私的な利益に反することにつながってしまう面もある。

ネットでの議論は、そのリスクを軽減して、立場を超えてテーマ集中して議論が出来るので、実のある議論が出来る可能性が高いという利点がある、と言いたいだけなのだ。勿論、身元がわからないのをいいことに無責任な発言や、あからさまな誹謗中傷が飛び交う場所もある。現実の世界も、ネットの世界も、いい面も悪い面もあるのだ。その違いを認め、どちらの世界でも実のあるいい方向に議論を持っていく姿勢は大事なことではないのか。

とにかく、私が「未来市長」さんとしていた会話は、ネット上で相手の人格にひとまず一定の距離感を置きながら、「南セントレア市問題」のテーマについて議論していたことなのだ。そこを彼にわかってもらえず、このような『議論ごと削除・自分の最初のエントリーだけ再掲載』という結果になったことは残念である。

このブログでは、今回の合併・新市名の件で、齋藤宏一・美浜町長をさんざん批判してきた。私は彼と直接話したことはないが、実は人間的には「いい人」かもしれないし、ご自宅へ帰ったら(お子さんがいるかどうか知らないが)子供にとっては尊敬できるお父さん、孫にとってはいいおじいちゃんかも知れない。しかし、彼が政治家として、美浜町長として、合併協議会会長としてやったことのいくつかは許せないことが多い。それが「罪を憎んで人を憎まず」ということだろう。

私はこのブログや掲示板などで発言した事については、全て責任を果たしたいと思っている。何度かこのブログでも引用しているエントリー「表現の自由」でも強く主張されているように、表現の自由には、多大な責任が伴っている。「故郷は美浜」というのも、実名を公表していないだけで特定の個人・人格を指すのは明らかで、「不特定な匿名者」とは違うのだ。

誤った発言や、人に迷惑をかけた行為に関しても、ブログの体裁が悪いからとさっさと削除したりせず、誤りを認めたり謝罪した後、その旨を追記したりしたフォローしたりして、自戒も兼ねて記録を残している(迷惑をかけた相手が記録が残ることを望まなかったり、波及的な悪影響がある場合は削除している)。「未来市長」さんにも、そういう「自分の発言したことへの責任」を果たしていただきたいと思っている(勿論削除されたコメント欄での彼の発言についてだが)。

自分としても、発言した事への責任を果たすために、とりあえず以前のエントリー「名古屋市の「未来市長」さんの「南セントレア市」についての意見について」を引き継ぐ形で、その後に最後に投稿し、そのあと削除された私のコメントを再録しておきたい。発言の終盤では、今回の「南セントレア市問題」についての自分の姿勢や考え方を再度記しておいたので、文章が長いがお読み頂ければ幸いである。

また、「未来市長」さんのコメントを全文再録するのは、彼がご自分の発言を削除、つまり取り下げているということから、控えさせていただこうと思う。




未来市長さん、

困りましたね・・・どうしてそんな風にしか受け取ってもらえないのでしょうか・・・

まず、結果的に不快な思いをされたことには、申し訳なく思いますし、残念です。

インターネット上でハンドル名で意見のやりとりをするのは、年上だとか年下だとか、仕事が出来るとか出来ないとか、エリートかたたき上げかとか、個人的な利害だとか、そんな現実の立場や人のなりたちを一切超えて意見のやりとりが出来るのがいいな、と思っています。つまり、立場を超えて議論の対象になっている問題の内容そのものに集中できることが魅力だと感じています。もちろん、あきらかに心ない誹謗中傷、レッテル貼り、イデオロギー論争の嵐のようになっている掲示板とかも存在します。しかし、ここや私のブログなどはそうではないでしょう。

私は未来市長さんがエリートだろうがたたき上げだろうが、年上だろうが年下だろうが、そんなことには全然興味はありませんし、議論する上でそんなことは関係ありません。名古屋市長という首長を目指されているという立場で「南セントレア市問題」について言及されたあなたの意見そのものに興味があるのです。

それなのに、個人の人格だとか態度だとか、日常的に映画を見るような人間なのかそうでないのかだとか、そう言う感情的な個人攻撃に話を持っていかれたり、意見の中身でなく表現についてだけのことを問題にされてしまうと、本来の議論も出来なくなりますし、途中まで有意義だった議論も実を結ばなくなってしまいます。

もし、もともと個人的に面識があったり友人であったりする人なら多少雰囲気も違ってくるでしょうが、基本的に、個人的に知らない人とネット上で意見のやりとりをするときには、上記の議論内容に集中するという意味で、一定の距離感は大切にしたいと思っています。
また実際、今後あなたと個人的な面識や人間関係をもったり、ましてやブレーンになったりするようなことなども、今までのやりとりを通した感想としては、今のところは残念ですが特に興味はありませんし、そのことに魅力も感じてはいないのが正直なところです。

次に、私は、「未来市長」さんが私に対して言われているような
「身近にいる鼻持ちならないエリートと同じにおいがする」
「周りにいる人間をしたに見る人間と同じにおいがする」
などという、私に対する感覚的・感情的なレッテル貼りのようなことを、あなたに対してしようなどという恣意などありません。現実的にしてないでしょう?
たとえばですが、上の方にある私のコメントの

>また、あなたはどうも「南セントレア」は悪名ではないと言う、今回の様々な結果からすると
>割と少数派の一人のようです

というのは、現実的にどんな数字を見ても間違いのない事実ですよね?感覚的・感情的なレッテル貼りで無いことはご理解頂けると思うのですが、いかがでしょうか。
「お前、名古屋市長を目指すくらいの人間なのに、そんなことも分からない訳?」
というような受け取り方をされてしまっている部分が、レッテル貼りに感じられている部分なのかも知れませんね。だとすれば、私の気持ちがそんな風にしか受け取って頂けないのは大変残念です。私の言っているのは

「基本的に、人が真摯に意見していることを、短絡的に誹謗中傷などと受け取らないで欲しい」

とお願いしていることです。そしてそのお願いをしている動機のひとつは、あなたが名古屋市の施政者に成られたときのことを想定しているからです。私は現在名古屋市民ではありませんが、どういう方が名古屋市長になるのかは私自身にも、大きくはないですが、微妙に影響があることです(詳しくは個人情報になるので、それがなぜか、どういう影響があるのかは公にはしませんが、政治的であったり、直接的に現在の仕事上や金銭の利害関係のあることではないことは明言しておきます)。その方に、真摯な気持ちからの意見が「誹謗中傷」などと言われるのは大変悲しいことですから、申し上げているのです。

確かに、内容はともかく、この比較的新しいブログというツールを使ってネット上で意見を言ったり、様々にコミュニケーションすることに関しては、客観的に見ても私の方が若干経験が多いように感じましたし、この前のコメントで、未来市長さんがこのブログというツール自体にまだ慣れてないよ、とおっしゃられたので「現状でそのままだと、それを見られたいろんな人にいろんな使い方をされる危険があるので、こうした方がいいですよ」、というアドバイスを親切心からいたしました。実際問題として、「名古屋市長を目指す」という、現実社会で非常に多くのに人々に影響を与えることをブログ上で公言されている人は非常にまれだと思いますから、通常のブログよりは、客観的に見てもいろんなリスクが発生するのではと心配しておりました。その気持ちから出た「ぜひ習得して下さい」という、私の「励まし」も、「偉そうに聞こえます」としか受け取ってもらえませんか?
そうであれば大変悲しいですし、もともと上記のような老婆心で申し上げたことなので、これ以上は申し上げません。失礼をいたしました。

ですが、他の部分に関しては基本的に「私はこう思うのですが、いかがですか?」と、私はあなたに意見を投げかけているのです。わたしの意見を押しつけているわけではありません。私の意見の内容についてのあなたの感想と、あなたの意見が聞きたいのです。それ以外に他意はありませんし、それが議論なのだと思うのですが、いかがでしょうか?

また、文章の分量が多くなってしまって、内容ではなくその分量に非常に威圧的なことを感じられたのかも知れません。確かに、他人のブログのコメント欄で長々と自分の意見を書いたり、あるいは別の第三者と論争を繰り広げたりすることは、これを見ている第三者から見てもあまり気持ちのいいものではありませんし、現実的に問題になっているケースもあります。その点については申し訳なく思います。

あと、これを読んでいる他の人にも誤解を招きかねない記述が2点あるので、言及しておきますが(また文章が長くなってしまって恐縮ですが、とても大事な点なので・・・お許し下さい)、
それはあなたと同じような、決して「ごめんなさい」と言わない人たちが支配しているからです。彼らは、どこまでいっても、「自分の言っていることは間違っていない」から、謝りません。
こういうレッテル貼りは本当に心外です。私など、どちらかといえば間違いだと思えばすぐ認め直しますし、迷惑をかけたら速攻で謝りに行ったりなどしょっちゅうです。今回の「南セントレア市問題」のブログの活動ひとつとっても、いろいろな人に誤りや足りない部分を指摘され、意見のやりとりをし、納得できるものはどんどん修正していきましたし、迷惑をかけたことに関しては出向いていって謝罪を重ねました。それも含めて、今回の事件では、自分もいろんな人の助けをいただいて、ちょっぴりですが成長できたと思っています。
たとえば、自分が件のブログを始めた当初、自分の基本スタンスがはっきりして無くて誤解を招いたことがあり、話し合ってその方のアドバイスを取り入れたり、あるいは署名活動代わりの「トラックバック企画」を始めたときに、一部の他の人のブログにネット上のマナーに反するようなやり方でトラックバックを送って迷惑をかけたことがあり、それには心から謝罪させて頂きました。
http://stop-minami-centrair.seesaa.net/article/1768466.html
http://stop-minami-centrair.seesaa.net/article/1776825.html#trackback
現実社会の自分の周りにも、本当に人格的に素晴らしく、また能力があり、あるいは人として魅力があり、直接助言をいただいたり、背中で教えてくれる人がたくさんいます。もちろんネット上でも、お互いのプライバシーには一定の距離を置きながらも、ブログなどのコミュニケーションで有用な意見をいただき、様々に教えられる毎日です。そういう人たちに、感謝する日々です。
ともかく、「自分の言っていることが間違っていない、謝らないという人間だ」と、あなたに私の人格を揶揄されるのは大変心外です。
あなたは、合併反対では、本当にすばらしい活躍をされたと思います。
私は基本的には今回の2町の合併自体については、賛成でも反対でもない立場を貫いてきました。反対していたのは新市名「南セントレア市」です(これも、ブログ開始当初に、ブログのタイトルが、合併に反対していると誤解を招きかねないという指摘で修正した経緯があります)。合併の是非は住民の方だけで決めるべき問題ですが、新市名にはそれだけでなく、一般論としての歴史的・文化的側面や地名としての適切さなどの要素や、出身者も含めた人々の心理や近隣の地域へ様々な面での広い悪影響が考えられたので反対したわけです。もちろん、この2つは表裏一体ですので、2月9日に新市名の一旦撤回が決まった後は住民投票のいい形での成立がされるように住民の方々のお手伝いをしておりました。

また、私自身は、自分のしたことを素晴らしい活躍などとは自分自身で評価していません。本当に素晴らしい行動をされたのは両町の住民の方々で、私はそのお手伝いをしただけです。新市名「南セントレア」を撤回させた主役は住民の皆さんで、私は情報を整理したり議論の場を提供するのが役回りでした。今回の結果で、私が住民の皆さんに救われたのです。住民の皆さんには本当に感謝していますし、お手伝いができたことをうれしく思っています。
確かに、ホームページはビジュアルがあって、全国から簡単にアクセスできるので、特にネット上では今回の問題について不本意ながら私のブログが非常に目立ってしまい、テレビや記事などに取り上げられた側面もあったとは思います。ですが、上記の基本的な私の姿勢と住民の皆さんらとの関係は、未来市長さんをはじめ、一般の読者の皆さんにも誤解して欲しくないな、と思ってます。

先ほども書いたように、ここで長々と議論を展開するのは見てる人にも不快感を与えかねないので、今後は、数行のコメントをすることはあっても、長い文章をこちらにアップするのは止めたいと思います。なにか議論をしたいときは、自分のブログの方にご発言を引用させてもらってコメントすることにします。その際は機能があれば「トラックバック」をさせてもらいますので、よろしくお願いいたします。

故郷は美浜
Posted by 故郷は美浜 at 2005年03月10日 03:51


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名古屋市役所




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合併するならこの新地名がいいと思う
posted by 故郷は美浜 at 19:01 | TrackBack(0) | 思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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