※3/10/2005 20:22 追記
下記で参照し引用している「「名古屋市の改革 Road to the mayor of Nagoya」の二つのエントリーが、私との議論が含まれるコメント欄ごと削除されて、改めてご自分のエントリー分だけをコメント付きで再アップされていることに気がついた。
その件に関しての私のコメントと、このエントリーの後半になる私の先方のブログに残したコメントの続きとなるコメントについては、下記のエントリーを参照のこと。
発言したことへの責任を果たすこと
たまたま検索して見つけたブログ、「名古屋市の改革 Road to the mayor of Nagoya」で、2009年の名古屋市長選での出馬を目指されている「未来市長」さんが、今回の南セントレア市問題についてのエントリーでについて、そのコメント欄でいろいろと議論させていただいた。
「南セントレア市の失ったもの」
ここで彼は
「これだけ全国的にメディア露出のあった新市名『南セントレア市』の広告による経済効果を活かさず、合併共々新市名を一時の気持ちの動きで葬り去ったのは住民の損失で、それをデザインできるリーダーがいないのは残念だ」という内容のことを主張されているので、自分は
「地名というものはそこに生活や共同体がある以上、消費財の商品名のように軽々に扱うべきではなく、また今回の『悪い広告』での見かけ上の経済効果を単純計算するのは本質的ではない。また、ただの玄関である空港を『主』に地域を『従』にするような主客転倒した地域づくりは愚の骨頂だ」という、まあこのブログでこれまで申し述べてきたことをコメントした。
現在このブログの総括にかかっているので、その考えをまとめる意味でも、また、彼が2009年の名古屋市長選挙に出馬して施政者になることを目指しているので、その意味でも今回の地方自治の様々な問題を内含した所謂「南セントレア市問題」で議論することは有意義だと感じている。
かなり長いが、詳細はこの先方のエントリーのコメント欄を参照して欲しい。
その後、彼の方で昨晩新しいエントリーをアップされたので、再びコメントを残しておいた。
「南セントレア市を失って得たもの」
自分のコメントにより責任をもつ意味でも、通常のブログのコミュニケーション例にならって、彼のエントリーから引用しつつ、自分のコメントの一部をここに再録しておく。
「未来市長」さんのコメント:
ただ、
彼は、町の名前は商品と同じではないと言いました。もちろんそのとおりなんです。しかし、南セントレアという名前は悪名とは思えませんが、どうしてもなじめないという気持ちも大変よくわかりました。
私は「町の名前は商品と同じではない」などと短絡的には言ってません。「地域というのは単純な商品ではない」と言っているのです。このことに関しては前のエントリーのコメント欄に何度も書いたので繰り返しません。
(「未来市長」さんの最初のエントリー「南セントレア市の失ったもの」に対する私のコメント:
美浜・南知多の観光が近年非常に落ち込んでいるのは、全部が全部ではありませんが、かなりの部分にその品質や販売姿勢にいろいろ問題があることが、今回の騒動を通じていろいろわかってきました。そこをまずてこ入れしない限り、いくらテレビで名前が売れたからといって、リピーターを獲得しての長期的な収益にはつながらないでしょう。ましてや今回は「悪いイメージつき」で全国宣伝され、そんな現状も含めて晒されてしまっているのです。)
「未来市長」さんのコメント:
その上で、町の観光産業のダメさ加減を彼は嘆いていましたが、それは今回の問題とは、少なくとも私の投げかけた問題の前提を覆す事件でした。「たとえ今多くの観光客に来られてもリピーターが来なくなる・・・」この意見には申し訳ないのですが笑ってしまいました。それじゃあ、問題の本質はバカ地名なのではなくバカ観光地なのでは?と。
千載一遇のチャンスと思った私はとんだ茶番を知って少々驚きです。
私の知る南知多・・・そうか、ここ10年で2から3回くらいしか行ったことないので、チークやケリーの記事でしかしらなかったのですが、全国に誇れる一大観光地だと思っていた私の前提が根本から崩れたのです。
だって、まるでリゾート地にあるようなホテルが立ち並び、屋上露天風呂からの眺めは凄いし(行ったことありませんが)、海産物も豊富で、綺麗なハワイのようなビーチがあり、・・・・こんな凄い観光資源を売り込む最高のチャンス!と思ったのです。しかし、彼の文章を読んで、私の思っていたことと少なからず違っていたことを知りました。
まず、南知多地方の観光資源に関しては、私も全国的に誇れる観光地にであると思っていますし、日本のみならず世界からお客さんが来てもらえるに足る場所となる可能性を持っていると思います。また、自分のブログでも取り上げているえびせんべいの里、まるは食堂、日間賀観光ホテル、香味庵本店をはじめ、素晴らしいレベルの製品やサービスを提供し、常に品質向上と顧客満足に取り組み、ユニークな経営で業績を伸ばしている事業者も、もちろん少なくありません。それを一括して「バカ観光地」とか「とんだ茶番」などとデリカシー無く呼ぶのは地元の人々や事業者の皆さんに失礼です。
ほとんど現地に行かない人も、雑誌などの小ぎれいな広告宣伝だけ見てれば、なんか賑わってるわい、というイメージはかろうじてつなぎ止められているかも知れません。しかし現実は、ここ10年で観光客数が年間700万人から400万人弱に半減し、新規顧客やリピーターも獲得できにくくなっていることは事実なのです。これはなぜなのか?
それはやはり、お客様のニーズや喜びを知り、お客様の視点にたった話法で品質向上と顧客満足に取り組むという、マーケティングの基本的な姿勢が行政にも一定数の事業者にも欠けていることだと思います。また、一人一人が持っていても、それが地域作りに活かされていないことです。たとえばある海水浴場では、ろくに品質向上にも顧客満足の向上にも取り組まないのに、夏の間に1年の稼ぎを得るために高い価格設定にした結果、近隣のビーチに客を奪われているところがあるそうです(これ以上のこの種のことは書きませんが)。また、アイドル歌手を呼ぶような高コストなイベントをやっても、それが呼び水になってリピーターが増えるようなこともないでしょう。私も近年現地で過ごした時間は長くないですし、もっともっと詳細なリサーチと分析をしないといけないとは思いますが、少ないながらも自分の体験や内外の多くの人と話をした結果からは、この問題の本質はそこだと感じています。
「南セントレア市」という「おこぼれに預かりたいです」と言わんばかりのリブランディングでこの現状にてこ入れすることは、そういった本質的な問題に再び真摯に向き合うことから目をそらさせ、そのバブルの香り漂う偽物の銀の弾に期待させ、本来なすべきことへ向けるべき情熱と時間と金を無駄なものに使わせることに他なりません。現象を数字だけで追うような狭義のマーケティング論理も同じ悪効果があります。たとえ「南セントレア」が多くの顧客にいいイメージを持ってもらえるリブランディングだったとしても、その効用で長期的な繁栄は望めるとは思えません。ましてや平成の大合併の歴史の中で、バカ地名ダントツのナンバーワンの称号を欲しいままにしてしまっているのですから。
「未来市長」さんのコメント:
私は南セントレア問題で、かの地がダーティーなイメージを背負ったと思いません。もちろん全国の人も同様でしょう。合併消失でも人々の記憶のなかでバカな話として記憶されることもないでしょう。
もちろん、住民の方にとっては、もう済んだ遠い昔の話なんでしょうね。
幸い、住民の意見が真っ二つに割れることなく大半の意見が同じであったことで、町は多くのものを得ましたね。
私は、住民のエネルギーをこの事件で学びました。
今回のことが、暴走する町政にストップをかけ、スタートラインに引き戻し、様々な面からこの町のあり方を見直すチャンスを与えていることは間違いありません。「南セントレア」という名前はその象徴となる記号でしょう。「もう済んだ遠い昔の話」などと言うべきではなく、人前で口に出さないまでも、新しく真摯に問題に立ち向かうモチベーションにすべきです。これからが一番大事なのです。
結果的には今回、圧倒的な合併反対票が集まりましたが、住民投票・新市名アンケートという実質的な「選挙」になったことで、合併賛成反対両派の運動や、各組合・事業所単位でのしがらみからのすり込みがあったりと、実質的に町が二分されてしまったしこりは残っています。おのおのの活動に郷土愛があったことは勿論ですが、これからこの町をまとめていくためには、合併特例債すらも無くなった今、今までと同じ体質の町政では住民に負担を求めるばかりで、未来はない個人的には思っています。圧倒的な合併反対票は、実質的に町政への不信任票なのです。財政悪化に歯止めがかけられないのにイベントハコ物に優先的に予算を使い、町民の収入・町の税収を向上できる施策を打たず、挙げ句の果てに財政的に行き詰まったら政治的談合で二度手間とも思える合併に「南セントレア」・・・この町政の刷新から始めないと安らかな死が待っているだけではないのか、と個人的には思っています。広域合併も目指すべき一つの手ですが、相当時間がかかるでしょう。住民の皆さんの行動に期待しています。
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また、あなたはどうも「南セントレア」は悪名ではないと言う、今回の様々な結果からすると割と少数派の一人のようです。もちろん人の意見は十人十色ですし、それはあなたの考えですから、それはそれとしてもちろん尊重します。しかし、名古屋市長を目指されるのであれば、ぜひそこにある人々の声に目を通してみて下さい。大衆迎合主義が常に正しい訳ではないことは当然ですが、自分の考えが住民や世間の多くの人の声、つまり民意と大きく乖離していないかどうかチェックして見て下さい。その上で総合的に判断して政治的に決断し、その決断に責任を持つのが政治的リーダーに求められる態度でしょう。上に立つ者にも下で従う者にも(ピラミッドをそのままにしてみるのか逆さにしてみるのかの違いはありますが)、その過程を経た上で決断し、時には disagree but commit するという姿勢は必要なことだと思います。
※この議論の続きはこちらのエントリーのコメント欄でお読み下さい。
(3/21/2005 追記 上記のエントリーは、議論のあったコメント欄ごと削除されています。)
名駅前の変貌は激しい
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合併するならこの新地名がいいと思う