あくまで私、「故郷は美浜」の目から見たタイムラインだが、情報を加えて普遍的なものにしていきたい。
※まだ不完全だと思うので、今後追加・改変します。
<節目の日へジャンプ>
●広域合併破談から第1回合併協議会で新市名「南セントレア市」の決定(1月27日)
●全国規模で嘲笑の渦が広がり、猛抗議が起こり、第2回合併協議会で一旦撤回される(2月9日)
●合併賛成・反対派が町を二分して争い、住民投票で合併反対の民意が示され、新市名アンケートで「南知多市」が1位となり、「南セントレア市」は完全撤回される(2月27日)
●住民投票の結果を受け、次のステップへの動きが始まる(2月28日〜)
■2002年11月18日 知多南部2市4町広域まちづくり懇談会の設置
2市4町=半田市・常滑市・阿久比町・南知多町・美浜町・武豊町■2003年11月18日 知多南部2市4町の広域合併が事実上破談
■2004年3月29日 美浜町・南知多町の幹部が合併検討会開催
■2004年8月1日 第1回任意合併協議会開催
■2004年10月20日 第4回任意合併協議会
「(新市名は)公募の上、協議会で協議して決定する」と議決(議事録 p.9〜12)■2004年12月1日〜20日 新市の名称候補の一般公募(全国から)
公募結果 329件有効応募(詳細)<2005年>
1位「南知多市」70件、2位「美南市(びなんし)27件、3位「美南市(びなんし)」14件
(「セントレア」という単語を含む応募は1件も無し。)
■1月11日
美浜町議会で、住民の請求に従い、住民投票条例が制定される。2月27日に合併の是非を問う住民投票が行われることに決定する。
■1月13日 第1回美浜町・南知多町(法定)合併協議会
・議事録 新市名について:p.38〜46
・公募結果に関して決定への拘束力はなく、公募案の中にない名称を協議会委員が独自に提案してよいことを確認
・片方の地名「南知多(公募1位)」が残ることに両町の委員から懸念が続出。
・継続審議とし、次回、事務局案通り協議会委員の投票で新名称を決定することを議決。
・合併協議自体は、ほとんど美浜町主導で進み、各制度も美浜町のものを適用。一方、南知多町は学校やサービスセンターのの統廃合が検討される。
■1月22日
「住民投票推進の会」が立ち上がり、住民に対して2月27日の住民投票への参加を呼びかけ始める。
■1月27日
●第2回美浜町・南知多町(法定)合併協議会
・議事録
・新市名を26人の委員が1人3件ずつ提案した一次選考を発表(選考結果。1位10点、2位5点、3位1点で計算)
・1位「南知多市」123点、2位「セントレア市」108点、6位「南セントレア市」15点、9位「遷都麗空」10点。
・いきなり松田良男委員から休憩動議が出て、美浜町と南知多町に分かれて委員が別室で密室協議
(議事録 p.48 中程 〜 p.48下。密室協議内容は議事録に載らず)。
・協議会再開、両町から最終案を発表。(p.49)
美浜町は「南セントレア」を提案、南知多町は第1候補「南知多市」、第2候補「南セントレア市」。
・齋藤宏一会長(美浜町長)が議事進行し、合併するなら片方の現町名を選ぶのはむずかしいので「南セントレア市」で意義なしでいいか、と最終確認し、新市名「南セントレア市」を全会一致で決定。
※関連エントリー:「2/11 議事録から見える「南セントレア市決定」と「休憩」の茶番劇」
●同日、「新市名は南セントレア市に決定」と発表される。
・セントレア関連の新市名候補(「セントレア」「南セントレア市」「遷都麗空」)で計133点となり、1位の「南知多市」の123点を上回るので、うちわで話し合い「中部国際空港の南に位置するから南セントレアにした」、と説明。
※メディア記事一覧
●これ以降、「南セントレア市」の奇抜さに食いついた全マスコミに盛んに報道される。
●インターネット上でも、ブログや2ちゃんねる・まちBBSなど大型掲示板などで過去最大規模の大騒ぎになる(いわゆる「祭り」状態)。
※ここまでのプロセスはエントリー「1/30 これまでの流れと今後のスケジュール」も参照のこと
■1月28日
●夕方頃、故郷は美浜@管理人が「南セントレア市」のニュースを初めて知る。自分の故郷と知り愕然とする。ブログや大型掲示板でものすごい祭りになっていて、その全国的な嘲笑の渦にうちひしがれる。
●中部国際空港株式会社(セントレア)が「愛称が認知されて喜ばしいが、想定していなかったことで戸惑っている」とコメントを発表。
●午後11時、2ちゃんねるのニュース速報の「南セントレア」スレッドが6本目に突入。関連AAが多数貼られる
■1月29日
●「南セントレア市まとめサイト」が立ち上がる。
●中日新聞 編集デスクに「南セントレア?」が掲載され、合併協議会が手厳しく批判される。たくさんの賛同の便りが中日新聞に届くが、唯一の反論は合併協議会からのモノだったらしい。
●ブログ「「南セントレア市」絶対反対!!!」を立ち上げ、最初のエントリー「「南セントレア市」絶対反対!!!」をポストする。
■1月30日
●エントリー「私の新市名「南セントレア市」問題に対するスタンス」をポストし、合併そのものには賛成でも反対でもないことを表明、ブログ名は『新市名「南セントレア市」に絶対反対!!!』に変更。
●深夜、掲示板、チャットルームを開設。
●「南セントレア民主共和国公式サイト」が開設される
■1月31日
●署名活動代わりのトラックバック企画「「新市名候補『南セントレア市』を撤回して欲しい!」を開始。あちこちにトラックバックを打って怒られつつ、1日で80本弱のトラックバックが寄せられる。
●Googleの「南セントレア」での検索結果が2000件を超える。
■2月1日
●両町には内外から反対の声が続々集まり続ける。電話が約五十件、同協議会と両町ホームページへの メールが約二百八十件あったほかファックスやはがきも届いた。
●両町長・町役場による住民説明会が断続的に開かれる。各地で住民の激しい反発を受ける。この日の美浜町の柿並公会堂で開かれた説明会で、斉藤宏一美浜町長は「南セントレア市は将来、北の市町と合併してセントレア市になりましょう。」と発言
■2月3日
●ひきつづき住民説明会が断続的に開かれる。斎藤宏一町長らは「この名称で国際化の時代に世界にアピールすることができる」などと訴えつづける。数字を並べ立てて合併のメリットを説くが、合併後の住民負担などで突っ込まれると「手元に資料がないので」と逃げ腰で、説明会は紛糾する。
■2月4日
●フジテレビ「スーパーニュース」で、齋藤美浜町長が「セントレア」を「セントレヤ」とねらい澄ましたボケをかます。
●Googleの「南セントレア」での検索結果が10,000件を超える。
■2月5日
●合併協議会のある委員は、次回法定協に向けて「いまの新市名に対する反響を受けて、もう一度検討してみてはどうかと提案するつもりだ」などと、あまりの地元・全国からの反発の強さに恐れをなした発言が出てくる。
■2月6日
●トラックバック企画「「新市名候補『南セントレア市』を撤回して欲しい!」で集まったトラックバックやネット上の意見、書き込みを集めて合併協議会に意見書とともに郵送。同意見書を公開書簡として公開。この時点でトラックバックの数は4日間で約150本に及ぶ。
■2月7日
●AZ FLASH さんの「南セントレア市FLASH」が公開される。
●毎日新聞「日本のスイッチ」の今週の質問に「愛知に『南セントレア市』誕生?自分なら新市名に 賛成する? 反対する?」という質問が載る。翌週発表された結果では82%(38,191人)が「南セントレア市」に反対。
■2月8日
●翌日の第3回合併協議会を前に、中日新聞に「新市名の是非について賛成派(町長)反対派(観光業)インタビュー」「『南セントレア市』住民の批判殺到」という重要な記事が2本載る。後者には筑波大・谷川教授の地名についての明快な定義があった。即時レスポンスを書いた。
■2月9日
●注目の第3回合併協議会、午前9時から開催
議事録 実況エントリー 掲示板の実況スレッド
・会議の冒頭から新市名問題で紛糾。この日の協議の最後に再審議することが決まる。
・この時点で各メディアは一斉に「『南セントレア市』撤回」と報じる。Yahoo Japan のトップページのトピックスに掲載され、当ブログへのアクセスが爆発する。
・この日の協議21項目を「異議なし」でこなし、午後4時過ぎから暫時休憩。美浜町側の委員は会長の美浜町長以下、別室に集結。新市名の再協議をどのような形で決着させるか、ほぼ1時間に渡って密室で作戦会議をする。その間、南知多町側の委員は待ちぼうけ状態。
・再開後、新市名を住民アンケートで決める案が出て、3名ほどの「南セントレア市」にこだわる委員を尻目に、ほとんどの委員がこれに賛成する。
・公募の上位11案に、一旦全会一致で決めた「南セントレア市」を加えて、2月27日の住民投票と同時に新市名のアンケートを行い、合併成立の場合はその最多得票を得た候補を、住民投票の成立不成立にかかわらず新市名に決定することを議決。
■2月10日
●各メディアは「南セントレア市一旦撤回」のニュースでもちきりとなる。
●その一方、住民の方々とお話しすると、投票方式に問題があり、手放しでは喜べないことがだんだんわかってくる。
●「南セントレア市」一旦撤回を受けて、ブログ名を「新市名『南セントレア市』は一旦撤回されました。ですが・・・」に変更する。
■2月11日
●1回前の1月27日の第2回合併協議会の議事録がこの日になってやっと公開される。2月9日の第3回合併協議会の前に公開していたら抗議がさらに爆発していたと思われる代物だった。
■2月13日
●2月27日の住民投票・新市名アンケートの「同時投票」「単記投票」に懸念を示すエントリーをアップ。■2月14日
●この辺りから、合併賛成・反対両派の街宣活動、ビラ捲きが活発になり、両町をだんだん不穏な空気が支配し始める。
●複数の住民グループが合併協議会に「合併賛成に誘導する同時投票の取り消し」を求めて異議申し立てを行う。同時に齋藤・森下両町長と複数人の合併協議会委員が個人資格で参加している「合併を進める会」からの退会勧告も行う。
■2月15日
●中日新聞に、新市名「南セントレア市」決定の舞台裏を鋭く明らかにする下条記者の記事が掲載される。
■2月16日
●当ブログを訪れた人々の合併・新市名問題についての意識調査を始める(2月26日まで)。■2月17日
●今回の「南セントレア市問題」でことさら知名度が増した感のある中部国際空港(セントレア)が開港。その後、一週間で60万人近い観光客を集め、まるは食堂のジャンボエビフライは6時間待ちになる。同じ日になぜか矢場とんの新本店ビルもオープンする。
●音吉の出身地である小野浦が地盤の齋藤美浜町長が、セントレア発の一番機に載ってシンガポールへ音吉の遺灰を取りに行く。音吉の御霊も176年経ってようやく帰った故郷が「南セントレア市」になりかかってて悲しんだに違いない。
■2月18日
●住民の異議申し立ては、2月16日に「住民投票のような1回行われるだけの継続的性質がないものは、行政不服審査法規定する異議申し立てが出来る筋合いのものではありませんよ」と門前払いされる。また、退会勧告は聞き入れられず、その後の「合併を進める会」のチラシにも両町長・委員らの名前は載り続ける。
●齋藤町長が日本テレビ「ザ!ワイド」に出演し、フジテレビで一回やっている「南セントレヤ市」ネタのボケを再びかまし、お笑いファンにひんしゅくを買う。
●美浜町の方から香味庵本店の手焼きえびせんべいをいただく。玄米エビせんべいの滋味に感動し、以後一日一枚ペースで食べつなぐ。
■2月19日
●就職活動中の東京の大学生2人が、夜行列車に乗って美浜・南知多にやってきて住民アンケートを敢行。意識調査とよく似た傾向の結果を住民から直接得る。町民の親切さ・暖かさにも触れて帰京する。■2月21日
●南知多町出身の哲学者、梅原猛氏のコラム「セントレアは似合わない」が中日新聞に掲載される。今回の「南セントレア市」問題を一刀両断している。
■2月23日
●住民投票・新市名アンケートが告示される。■2月24日
●この頃には合併賛成・合併反対のポスターが町中が貼られ、街宣車がひっきりなしに行き交い、両派の集会の断続的に行われ、町を二分した状態になる。
●南知多町の和風旅館「粛海風」の社長が「南セントレア市熱烈応援」の巨大看板を5枚も立て、マスコミの格好の餌となる。
●住民投票の期日前投票には多数の人が参加する。同じ投票所内にある新市名アンケートへは、職員が控えめに誘導する。
●合併賛成・反対両派のポスターや横断幕にスプレーで落書きの妨害工作が行われる。
●掲示板での地元の方々を中心にした議論や住民グループの方々との話を経て、三位一体改革・広域合併・稼げる町経営を話題にしたエントリー「「合併特例債」は重病人に打つ麻薬にすぎない」をアップ。
●2月9日の第3回合併協議会の議事録がやっと公開される。新市名に対する全国的な反発に対する葛藤がよくわかる議事だったと如実に知れる。
●「2月27日 美浜町・南知多町 合併の是非を問う住民投票に行きましょう」にブログ名を変更。
■2月25日
●投票日前の金曜日で、テレビ各局のニュース・ワイドショーで盛んに取り上げられる。
●フジテレビ・スーパーニュースでは齋藤町長が抹茶を振る舞い、横笛を吹き、涙を流し、「一期一会」と色紙を書くという、同情票狙いのパフォーマンスを見せる。この後、投票日後の報道まで、各局は齋藤町長を完全にタレント扱い。
■2月26日
●意識調査の調査結果の傾向が出る。サンプル数は少ないものの、合併には反対、新市名は「南知多市」が多く寄せられ、「新市名決定プロセス」「同時投票」「単記投票」は適切でなく、「両町長への信頼」は薄いことが表れる。特に両町町民からの意見では、その傾向が顕著に表れる。また、「合併反対」でありながら新市名に投票する人が続出する。
■2月27日 住民投票・新市名アンケートの投開票日。
※掲示板の実況スレッド
●予想以上の高投票率で、午後4時30分に両町とも投票率50%を超え、住民投票は成立。最終投票率は美浜町 72.79%、南知多町 68.87%。
●住民投票の開票は出だしから反対票が圧倒的に多く、午後10時40分すぎに南知多町の「合併反対多数」の最終結果がいきなり出て、合併が事実上無くなる。最終的には美浜町 76.27%、南知多町 63.17%を反対票が占め、専門家も驚くほどの合併反対が圧倒的多数の民意が示される。
●すでに用の無くなった新市名は午後11時40分すぎに最終結果が発表され、「南知多市」が半数近い 10,296票を得て1位となる。「南セントレア市」はその5分の1以下の 1,988票で3位。民意としても「南セントレア市」はこの時点で完全撤回となった。
●両町長がこの結果を受けて記者会見。両町の合併の断念を表明。齋藤町長は「住民が改革や新しい町づくりが嫌だというならしょうがない」「田舎町が世界的に有名になって良かった」「広域合併の時は『セントレア市』を提案したい」などと無責任で未練がましい発言をし、世の中を呆れさせる。
●町長自らの責任問題については「合併協議会で決めてきたことで、責任はない」と反発
■まとめサイトの中の人がこの投開票日に現地に赴き、「南セントレア市最後の日 そして伝説へ・・・」とレポート。
■2月28日
●マスコミ各社は一斉にこの結果を「『南セントレア』どころか合併もおじゃん」と報道。地元メディアのほとんどや一部の在京マスコミは「民意無視で強引に進めた合併協議・町政への反発が、高い投票率での圧倒的な合併反対につながった」と分析し報道。
●「南セントレア市」と同じく、住民などの猛抗議を受け撤回された「太平洋市」の大高和郎・成東町長が「南セントレア。僕はこれは素晴らしい名前だと思いますよ。これをダメにして、併せて合併までダメにしちゃった住民と、それを指導しきれなかった地域のリーダーは、歴史で批判されると思います。」と自らの太平洋市のことを忘れたような発言。
●「南セントレア市」完全撤回を受けて、ブログ名を「合併にNO! 「南セントレア市」も完全撤回! 新しい町づくりへ」に変更。
■3月1日
●マスコミ各社の記事はもちろん、住民の間やブログ・掲示板で町長の責任問題を問う声が沸騰する。同時に、住民投票を行い合併を止めさせた住民サイドの責任について言及する記事や声も増える。
●エントリー「責任は行政・議会・住民のすべてに」をアップ。
■3月3日 第4回合併協議会
●住民投票・新市名アンケートの結果を受け、合併協議会の解散を決議。所要時間20分。
●協議会後の記者会見で、齋藤町長は「合併の是非じゃなくって、いろんな感情問題・手続問題、いうようなことへ、視点が行ってしまった」、森下町長は「これはもう、住民がそういう選択をしたんだから、住民にその分はつけが回るよ」と一方的に住民側に責任を押しつける発言。今後の町政が危ぶまれる声が上がる。
●同記者会見で、美浜町長は固定資産税の値上げや役場職員の各種手当カットなどを表明した模様(ソース未確認)。