このブログでも、その決定を待って、今回の合併問題、新市名問題について総括せねばならないと思っている。
いただいたトラックバックやコメント、そして「南セントレア」で検索できるブログを読んでいると、やはり多いのは
『「南セントレア市」という名前が嫌だから合併反対が増え、合併が否決された』という反応だ。
そう見えても仕方ないと思う。
なぜなら、マスコミがそういう伝え方しかしてないから。
もちろん、「南セントレア市」で合併問題自体への住民の関心が高まったのは確かだし、「南セントレア市」の件で合併協議会に不信感を持ち、合併反対に票を投じた人も多かろう。実際、自分も反対票が予想以上に多いな、とは思っていた。
このブログをはじめ、ネット上のこの問題への議論内容も、ほとんどが「南セントレア市」からこの問題に入っていっているから、そう見えても仕方ない。
しかし本当にそうだろうか。
基本的には、新市名のことだけでなく、財政、特例債、行政サービスから町づくりに至るまで、全てにおいて民意を無視し、ろくな議論もなく短期間で強引に合併を推し進めようとした町政・合併協議会への不信感が、今回の合併の否定につながったのだと思っている。今回示された民意の基本はそこだ。
合併協議会や合併賛成派(この二つはほぼ同じ人たちで構成されている)の主張では、合併特例債の行財政のスリム化、合併後の町づくりが謳われているが、その内容にはかなり無理があるものだったし、合併協議もろくに議論自体されていない。唯一議論がありいろんな調整が行われたのが「南セントレア市」だったわけだし、その象徴になった。
新市名についても、作為的な同時投票だったとはいえ、「南セントレア市」がイヤな人は別の市名候補に投票すれば良かったのだし、合併そのものとは別に意志を示す方法があった。合併賛成の人でも「南知多市」他に入れた人は多かったのだと思う。もちろん合併反対の人で「南セントレア市」に入れた人はほとんどいないと思うが。無記名投票なので具体的な数字はもうわからないが、合併賛成の合計8000票あまりのうち、「南セントレア市」に投票した人はその4分の1の2000票弱なのだから(「合併反対」で「南セントレア市」に入れた人がいたら顔が見てみたい)。
町の外からマスコミ報道だけ見ていると、見出しは全て「南セントレア市ならず」みたいなのばかりなので、それが焦点だったと見てしまうのも仕方がない。テレビの町民へのインタビューも基本的に新市名のことしか聞かないから、合併そのものに対しての意見などほぼ流れていない。
しかし、地元の方々に話を聞くと、やはり焦点は町の将来であり、以前に破談になってしまった広域合併への責任、中身に無理のある合併協議、そして現在の町政への不信感なのだという印象を改めて強くしている。
今朝のテレビ朝日のスーパーモーニングでは、つかみは「南セントレア市」だったが、渡辺キャスターも「合併についてちゃんと決めてから新市名決めた方がいいんじゃないの?」と言ってたし、他のコメンテーターからも合併特例債の期限の話などが出ていたので、まだ良かったと思う。
今後、この問題がマスコミをにぎわすことはもう無いだろうが、出身者としてはこの町の将来を見守り、応援していきたいと思う。
しかし、昨日の住民投票の結果が出た後の齋藤町長のコメント。
「南セントレア市」頓挫 愛知2町、住民投票で合併反対が多数(産経新聞)
合併協会長の斎藤宏一美浜町長、同副会長の森下利久南知多町長は同日夜、このコメントは自分もその通りだと思う。ただ、「なぜ合併が必要なのか」の主張には無理が多かったし、住民の負担など、合併のデメリットがいっぱいあるのに全然説明しないなど、問題が多すぎる。また、どういう町づくりをしたいのかというビジョンも全然無い。住民に話を聞くと、本当に真摯な説明がされてない。それじゃ理解してもらおうという方が無理だったと思う。
「住民の審判を真摯(しんし)に受け止め、合併はしない」などと協議会解散を示唆。
斎藤宏一美浜町長と森下利久南知多町長が同日深夜、美浜町役場でそろって記者会見。「南セントレア市」をめぐる新市名論争について「投票率を上げたと思うが、合併のメリットを理解してもらえず残念」と口をそろえた。
また、「南セントレア市」の問題がなく、投票率が上がらなかったとしても、今回の合併には否定的な意見が多かったのではと思う。不信は根強いものだ。
斎藤町長は「幻で終わったが、小さな田舎町が世界的に知られたのではないか。今の町でしばらくがんばりたい」と述べ、森下町長は「反対に大差をつけられたことに
(新市名論争が)影響しているのではないか」との見方を示した。
両町長とも再度の合併論議には時間がかかるとしているが、斎藤町長は「将来(中部空港がある)常滑市も含めた広域での合併構想が持ち上がれば『セントレア市』を提案したい」と未練をのぞかせた。
ご自分らのやったことがいったい何だったのか、人々の心をどのように傷つけたのなんか、この人たちには一生わからないんだろうな、と思う。いや、わかろうともしないのだろうけど。
また、2年前に一度ご破算になっている広域合併は、今回の騒動でさらに、北部の市町に相手にされづらくなったと思う。これから問われることになる、その責任は大きいと思う。
とにかく、これは終わりではなく、新しい町づくりのためのスタートなのだ、と思う。
未来は子供たちのもの
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