昨日、エントリー「中部国際空港 = セントレアは名古屋圏だけ?」を書いた昼過ぎの時点では、キー局のニュースや在京新聞社は「セントレア」という愛称はほとんど使ってなかったが、夕方から夜のテレビのニュースでは、ほとんどが「愛称はセントレア」などと字幕で出して、開港初日の混雑ぶりを報じていた。
滑走路が一望の展望風呂には長蛇の列、レストランは2時間待ち、フードコートはテーブルが足りなくて立って食べたりしている映像が映し出されていた。
今後「愛称:セントレア」が使われ続けるかは空港の営業努力次第だが(「南セントレア」には一切期待しないでいただきたい)、ぜひ頑張っていただきたい。
そんな様子をレポートした記事から。
中部国際空港開港 地元では 高まる期待 早くも成果も(朝日新聞)
●観光地
海水浴、温泉など観光地となっている南知多地方。ホテルや旅館、民宿などでは、愛知万博(愛・地球博)用の仮予約はあるが、空港開港に伴っての予約は今のところ増えていない。
観光業界としてバス会社と提携し、空港と名鉄河和駅を結ぶバスを1日10便走らせるほか、レンタカー会社の取り次ぎ契約も結んだ。さらに旅館街と空港を直接結ぶシャトルバスの運行も検討している。ある旅館では「中部空港には東京、大阪の人は飛んで来ない。努力しないと万博客もほかに持って行かれる。これまで来なかった北海道や九州の人が来やすいようにする必要がある」と気を引き締めた。
セントレア開港で客が増えないのは当たり前である。セントレア自身が南知多地方の客を奪っているんだから。
万博のようなイベントはともかく、その地域の観光資源の質やサービスが向上しなければ客は来ない。客の目が厳しいことは、サービス産業に身を置くものなら誰でも知っているはずだ。
美浜・南知多の魅力はなんと言っても、豊かで綺麗な伊勢湾・三河湾の両方へのアクセス、美しい里山と歴史、美味しい魚や特産物、そしてのんびりと命の洗濯が出来るゆったりした時間である。
ぜひ「南セントレア市FLASH」を見て、両町を再認識していただきたい。
とにかく、「南セントレア」なんてあやかりの安看板を掲げたところで、その看板と観光資源の中身のギャップにあきれられるだけだし、そんなもので簡単に観光客が増えるわけがない。
観光サービス産業はとにかく地道な努力と知恵の積み重ねである。成功しているところはみんなそうだ。最近の成功例である旭山動物園や黒川温泉の信念と努力やに学ぶべき点は多い。そこには宝くじも魔法の銀の弾はないのだ。上記記事にあるような、努力を続けるしかないのだ。
新しい翼・セントレア:中部国際空港開港、人で埋まった /愛知(毎日新聞)
◇音吉の遺灰受け取りに
〇…173年前に伊勢湾で難破し米国まで漂流した南知多町出身の音吉の遺灰を受け取りに行くツアーが、シンガポール行きで出発した。音吉は米国に漂着後、マカオやシンガポールに住み、世界初の和訳聖書の翻訳にかかわったり、日英通商条約の通訳を務めた。
同町の音吉顕彰会が03年、シンガポールで音吉の墓を発見した。顕彰会長の斎藤宏一町長は「長い時間流転した音吉が、遺灰となって数時間で伊勢湾に帰ってくる。感慨深い」と話していた。
音吉は伊勢湾に面した野間の近辺の小野浦の出身である。シンガポールで没し、173年間、故郷の土を踏んでいない。
故郷の小野浦の海を、里山を、彼は漂流後死ぬまで、異国の地から幾度思い描いたことだろうか。
その故郷が、帰ってみたら「南セントレア市」になっていたら、音吉も浮かばれまい。
14歳で漂流してから、ほとんどを英語圏の海外で過ごした彼が、死後やっとの思いで御霊として故郷に帰ってきたら、故郷の地名が英語の造語である。
「南セントレア市」になったら、一番悲しむのは音吉の御霊かも知れない。
音吉顕彰会長は、音吉の遺灰に一体どう説明しながら知多に帰ってくるつもりなのか。

音吉が育った小野浦近くの野間の海岸。
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セントレア・中部国際空港についても語るスレ
斉藤美浜町長「将来は北部と合併してセントレア市」